曳舟駅からテクテク散歩。 ( 3月13日のお散歩話です )
行き当たりばったりだから、志゛満ん草もちを買った後に百花園に戻ったら、
閉園時間になっていました。
仕方ない。また来よう。
近くに神社があったはず。。。
ここだここだ。
寿老神と書いてある、あそこ。
白鬚神社
神社というと、手水舎が気になるの。
こちらの手水は、柱から渡されている青竹に三つほどの穴が空いていて、そこから水盤に流れ落ちる形になっています。水面に波紋がほら、三つ ❤ ❤ ❤
青竹の上に棕櫚縄が張ってあります。その棕櫚縄と青竹の間に、うまいこと柄杓がブラブラさせてある。
よく考えたものですなぁ。
ぷっくりとして愛嬌のあるお顔の狛犬さん
境内に面白い案内板がありました。
要約するとこんなこと。↓↓↓
「この白髭神社は昔から寺島町の鎮守で、平ったくいうと白髭大明神です。
江戸時代、町民文化が全盛の頃、近くの百花園に集まっては風流を楽しんでいた文人たちが、初春の七福神詣をしようと思ったんですが、どうしても近隣の寺社に《寿老人》が見つからない。そこで機智を働かせ、鎮守の白鬚大明神は、白いお髭のご老体であろうから《寿老神としてたたえていいんじゃね》って話になり、めでたく七福神が誕生したのです。」
ははは。「白鬚大明神だから、寿老神としておこう」って、
適当というか、柔軟というか、こういうの楽しいですねぇ。
いいセンスしとるよ、寺島村の人たち。ねっ、狛犬さん。
こちらは社務所のようですが、
江戸東京たてもの園に移築されても、他にひけを取らない立派な建物だなあ。
この辺りは変った地形です。
台地というのは、山から次第に低くなって底地が水の流れる川、と想像してしまいます。
ところがこの辺りは、隅田川と荒川に挟まれた地面の方が川より低いんです。
いわゆる海抜マイナス地帯。
ここもそう。
隅田川があって、墨堤があって、道がそれより低い所にあって、宅地は更に低い位置。
白鬚神社のある場所は、ほら、階段があるでしょう?
現在では、堤防がキチンとしていますが、
明治期には、ここより高い位置にあった三囲神社でさえ洪水で大変だったのですから、
この辺りも被害は深刻だったのではないかしら。
現在のハザードマップです。
白髭神社のある場所が紫、それよりもっと川に近い言問だんごあたりは水色で、一部黄色の場所もありますね。
浸水深さの目安は、色分けされています。
想定する降水規模は、3日間総雨量 548mm ( 200年に一度程度の確率で起こる大雨 ) で、
クリーム色が大人の膝までつかる高さ。
水色は1階の屋根までつかる高さ。
紫色はなんと、2階建ての軒下までつかる5.0mの高さまで浸水するという。
下が実際のハザードマップ
↓ ↓ ↓
200年に一度と書かれていますが、昨今のゲリラ豪雨や異常気象を考えると、心配になります。
大雨にならないように、どうぞ、白髭神社の大明神様、お守りくださいね。
白鬚神社を詣でて階段を上がると、道が湾曲しています。
道より一段低いところに家が並んでいるのは、この場所が堤防だから。
カーブの終点に立て看板には、、、
どれどれ、こんなことが書いてある。 ( ※下は要約よ )
白髭神社の北に徳川将軍家の休憩所である「隅田川御殿」があって、
8代将軍徳川吉宗が護岸強化と憩の場づくりのために、堤と並木の両端を言問橋の架かる辺りまで地固めさせた。
以来、提は花見の名所になったとさ。
両側には桜の並木が続いていたと当時の写真がこちら。
写真左の地面が低いことからも、堤であることがわかります。
こちらの写真は、奥が隅田川ではないでしょうか。
いま来た道を振り返ってみる。
道が湾曲になっています。
もう桜並木はないけれど、この湾曲が旧墨堤 ( きゅうぼくてい ) の名残りだそうです。
新しく作られた道路は、真直ぐで交差点も直角ですよね。
でも舗装されていない道は、風情があっていいもんですね、
《道路》じゃなくて《道-michi 》 という響きが合うように思います。