台風一過 。
台風一過 つて、この話は8月24日の出来事です。
今日は次の迷走台風が関東に迫っているというのに紛らわしい話でスミマセン。
やっと晴れたので自転車でおでかけ。早稲田まで行きます。
デッカイ台風、通り過ぎましたが、どよんとして雲 出てます。
さーて、何を撮りたかったのか。。。
ヘリコプターだったが、反応遅かった。
おばさん困ったものだ (;´Д`)
なんか、いい感じの色が揃っていて楽しい。
早稲田には美味しいものを買いに行く予定なんですが、
その前に、ずっと気になっていた竹垣のお寺?を見学することにしました。
いつも車で通る時に「何だろう」と思ってたの。
目立つでしょう? 竹垣も達磨さんの絵も。。。
達磨さんじゃないのかな、この人?
この門、竜宮城みたいで目立つなぁ。
ここは、中野で有名なお寺さんみたいです。
名所のひとつに鍋島家のお墓があるといういうけれど。。。
鍋島家?
読みにくいですね。
一応、書き写しておきます。
鍋島家の墓所
この成願寺 ( じょうがんじ ) には、大名・蓮池鍋島家の墓所があります。
中野在来の寺院で大名家の墓所があるのはここだけです。
蓮池 ( 佐賀市東部 ) の鍋島家は、直澄が寛永十六年 ( 1639 ) 52,600石を与えられ分家したのに始まります。
墓域に入ると十基の墓石が立ち並んでいます。
手前の自然石が四代藩主・直恒の供養碑、三番目の四角いのが墓石です。
銘文によれば、直恒は、寛延二年 ( 1749 ) に麻布龍土町 ( 港区 ) の藩邸で病死し、衾村-ふすまむら ( 目黒区 ) に葬られましたが、のちその墓は成願寺に移されました。
他の八基の墓は、二代直之・八代直与・九代直紀の子供たちのものです。
また、墓地の右手の奥に鍋島地蔵と呼ばれる地蔵姿の墓碑があり「眞如院殿一幻妙覚童女之霊」の法名が刻まれています。
昭和56年3月 中野教育委員会
一般のお宅の墓標を写さないようにして。。。と
手前の自然石が四代藩主・直恒の供養塔・・・こちらのことかな?
真中の四角い石板に「直恒之墓」と読めます。
四代藩主・直恒の墓といいますが、
調べてみたら蓮池鍋島家代々の墓所は、佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺とあるらしい。
初代から八代目までが宗眼寺で、最後の藩主九代目の鍋島直記公のみが青山墓地となっています。それなのにこれは、、、どうしたことなのか。
龍土町 - Wikipedia
さて「直恒は麻布龍土町の藩邸で病死」とあるけれど、龍土町とはどの辺りか、、、
古地図好きとして気になるところ。
ごそごそ。龍土町。ありました。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2150597.html
現在の地図を重ねると、、、
古地図は1858年のもの。
その頃の当主は、第9代-鍋島直紀 ( 藩主在任は1845~1871 ) さんで、
この方も直恒さん同様、この上屋敷で亡くなっています。
地図には「甲斐 鍋島」と書いてあるけれど、、、いいのかな。
間違いない。
当時の第9代藩主の官位が「甲斐守」だったから、こう書かれているんだって。
そういえば、渋谷区松濤に「鍋島公園」という大きな公園があるんです。
高低差がある場所に大きな池があって、それは素敵な公園です。
〔鍋島〕というからには、関係があるのかと思ったけど、
公園の方は、本家筋--佐賀藩の鍋島家でした。
渋谷区松濤にある「鍋島公園」は、明治9年に当時の備前国 佐賀藩 11代 ( 最後の ) 藩主-鍋島直大さんが、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け、茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出したんだそうです。茶園が廃止されてからは、湧き水地を中心とする一画を児童遊園として公開したんですって。
この鍋島直大っていう方は話題に欠かない人でして、
長女の朗子 ( さえこ ) は加賀藩前田家第15第藩主の前田利嗣に嫁ぎました。
ちなみに次代藩主の婿養子--利為 ( としなり ) さんが駒場にある前田邸や、
鎌倉の旧前田邸 ( 現在の鎌倉文学館 ) を建てた人なんです。
話を戻しますと ( って戻ってないけど・・・ )
鍋島直大の次女の伊都子は、梨本宮守正王妃となりまして、、、
実は今、その方の本を読んでいるんですですけど、凄く面白いんです。
伊都子妃は、明治・大正・昭和にかけて80年近く日記をつけてらしたのね。
いくつもの戦争を通した波乱の時代を書き綴られているんです。
しかも皇族妃という特異な地位にいたから、明治・大正・昭和の三代の天皇のそばにいて「近代日本の歩み」を「雲上人」の立場で見つめてきたんです。
これは絶対に興味が尽きないと、少しずつ読み進めている本なんです。
例えば、長女-方子 ( まさこ ) 王女。
彼女は朝鮮王族-季垠と結婚、政略結婚による「悲劇の王女」と呼ばれてます。
あの赤坂プリンスホテルの旧館が、旧李王の館だったんです。
だからプリンスホテルなんですよ。
李王とその方子妃は時代に翻弄され数奇な運命をたどるんですね。
でも、この佐賀藩の鮫島家の話や、伊都子妃の本の話は、また別の話。
脱線、脱線、大脱線
成願寺の蓮池鍋島家の方に話を戻します。( やっと戻った (;'∀') )
墓地の奥にある「鮫島地蔵」というのを見に行きたいと思います。
一般の方の墓参りのお邪魔をしないように気をつけながら進みますと、
ありました。
残念ながら、両手の部分が欠けてしまってる。
成願寺HPの解説によると、右手に杖を持ち、左手に宝珠を持っていらしたそうです。
杖は錫杖といい、旅の僧が持つもの。
地蔵菩薩は旅の僧の姿をして、この世でもあの世でもどこ にでも赴き、
人々の願いをかなえる菩薩、なんだそうです。
可愛い。
地蔵尊の御足元の台に、小さなお地蔵さま。
「眞如院殿一切妙覚童女之霊」
再び成願寺のHPから引用しますと、
この地蔵尊は延宝二年 ( 1674 ) 、幼く死んだであろう少女の供養のために建立されたもので、
「童女」とは鍋島家にゆかりの少女と考えられているようです。
元々このお寺と鍋島家との関係は、寛延九年 ( 1669 ) 蓮池藩 第2代当主--鍋島直之の子、千熊を弔ったことに始まります。
そして寛文十年 ( 1670 ) には、わずか二歳で他界した直之の娘・福 ( 菊露童 女 ) を成願寺に弔ったという古文書が残っているらしい。
だったらやはり、この地蔵菩薩像に刻まれた「一切妙覚童女」は、福のことじゃないかしら。
最初の看板の説明に〔直恒の墓石〕とありましたが、正確にいえば歴代当主の墓はやはり佐賀の方で、
こちらの方は、子供を弔った縁のよる〔供養塔〕なのではないかしら。
鍋島直之さんについて
もうひとつ、直之さんの面白いエピソードを思い出しました。
つまらない? お願いです、もう少しお付き合いを。。。(^^ゞ
二代目当主-直之という名前、最近耳にしたなと思ったら思い出しました。
6月に聞いた「ACTシアター 志の輔らくご」で、立川志の輔さんの噺に出てきたんです。
有名な忠臣蔵。
吉良上野介にキレた浅野内匠頭が刃傷沙汰を起す「殿中じゃ」の事件ありますでしょ?
あれ、ことによったら鍋島直之が起こしていたかも知れないんですと。
浅野さんがキレて大事になっちゃったが、
鍋島さんの方は、蓮池藩 江戸家老の石井又左衛門って人が、気転を利かせて吉良に賄賂を贈り、ご機嫌をとり事なきを得たというのです。
この石井ご家老の気転がなかったら「もうひとつの忠臣蔵」があったという話が、
志の輔さんの説明にも盛り込まれていたんです。
ちなみにNHK大河「元禄繚乱」では、吉良上野介を石坂浩二、鍋島直之を石塚英彦が演じていたそうです。
「鍋島などそんな大した家柄でもなかろうに不必要にでかい家紋をつけおって・・・。勅使様のお目障りとなるだろうから家紋を片付けよ。」
↑ ↑ ↑ これが吉良さんの台詞。
家紋を屈辱されるというのは武士にとって最大な屈辱、ついに刀を抜きかけるというシーンだったそうですが、こういう台詞や役者さんを想像して当時の様子を思い描くと、蓮池鍋島家もぐっと身近に感じてくるから不思議です。
おおっと、この成願寺。
もうひとつ大きな名所があるんですが、その話は次の回にいたします。