武者小路実篤 著『愛と死』を再読。
友人野々村の妹-夏子は、逆立ちと宙返りが得意な、活発で、美しい容貌の持主。
小説家の村岡は、野々村の誕生会の余興の席で窮地を救ってもらって以来、彼女に強く惹かれ、二人は彼の巴里への洋行後に結婚を誓う仲となった。ところが、村岡が無事洋行を終えて帰国する船中に届いたのは、あろうことか、夏子の急死という悲報であった ⵈⵈ 。至純で崇高な愛の感情を謳う、不朽の恋愛小説である。
『愛と死』 新潮文庫 末尾 解説文より
「愛と死」は、「初恋」とならぶ武者小路実篤の代表作です。
でも。
実は私は、個人的に「なんだかなぁ」と思っている作品です。
理由は、主人公の魅力が本から感じ取れなかったことにあります。
「初恋」は主人公の実話をもとに書かれたもので、作者本人がモデル。
「愛と死」は空想の話ですが、主人公はやはり作者を投影していると思われます。
二つの作品とも美しい女性に惚れるんですが、主人公の女性に対する態度や感情がちょっと幼い。
まあそれが実篤さんらしく可愛らしいので、魅力なのかも知れませんが、
私は読んでいて「子供っぽすぎる」という想いが抜けきれず物語に没頭できなくなりました。
例えばこんな文章
野々村の妹もすっかり女らしく美しくなり、或る日往来で逢った時は、似てはいるが、
他人だと思った。野々村の妹がこんなに美しかったはずがないと思ったのである。
僕は黙ってゆきすぎようとしたら、その女があわててお辞儀をしたので、僕は自分にしたのではないと思い、うしろを見たが自分より他に人がいないので、やはり野々村の妹だと思ってあわててお辞儀をしたが、その時はゆきすぎたあとで、野々村の妹はそれを知らなかったろうと思った。
残念に思い、わるかったとも思った。
それから二つ月程たった時、野々村の妹が三四人の友達と銀座を歩いているのを見たが、僕はお辞儀しようと用意していたが、野々村の妹は気づかない顔をしてゆきすぎた。
自分は嫌われているなという感じを受けた。
「勝手にしろ」
美しく思え、お辞儀してもらいたかった反動でそんなことを感じた。もうお辞儀なんかしてやるものか。そんな子供らしい感じを持った。
武者小路実篤著『愛と死』p.10より
「愛と死」は作者が54歳の時に発表した作品です。
主人公 ( 27~8歳 ) がいくら
そんな主人公のことを、友人の妹 ( 夏子 ) の方が好きになり、やがて二人は相思相愛の仲となる。
夏子がいかに魅力的かは、作品のいたるところに描かれているのですが、主人公の魅力が本の中に見つけられなかった為、私は「夏子は村岡のどこに惚れたのだろう」という疑問で迷走してしまいました。
私小説は、自分の周りのことはうまく描けても、自分自身の描写が描き辛いところがあります。意識して自身を俯瞰でみる必要性を感じますが、なかなか難しいことかも知れません。
実際の実篤さんは男友だちも多く、書画も上手で、「新しい村」を通した社会貢献もしてきた人物ですが、こと女性に関しては奥手というか、ずっと
最初に書いたとおり、その初心さを臆面もなく書いてしまうところが武者小路実篤の魅力なのではないか、とは思います。
まだまだそんなに沢山読んでもいないので一概には言えないけれど、
初期に読んだのが「初恋」「愛と死」だった為に、偏ったイメージを抱いてしまったようです。
このイメージを払拭するには何を読めばよいか、、、そんなことを思い乍ら次に読む作品を物色中です。
本日の昼ごはん
味噌煮込みうどん
この味噌、飽きないから不思議
本日の夜ごはん
ギョギョいちからの甘えびと、下北沢オオゼキの生さばを。
サバは、塩糀を塗りつけて焼きました。
ちょっと焦げたけれど、ほどよい塩加減で美味しい。
添えられた笹葉は本物です。
オオゼキのサバの容器にあったものです。
こういうところも凄いと思う。柄つきの発泡スチロール容器が多いのに。
塩さば銘々皿に移しました。
もう一品創作している内に、おじすんが甘えびむいてくれた。
「嫌いでしょう? 甲殻類の殻むくの」
冷凍アサリがあったのでスープにしました。
今の季節の白菜は美味しか~
牡蛎とほうれん草のバター炒め 追加
「ほうれん草がつましいね」
「そうなの、二把しかなかったのよ」