Garadanikki

日々のことつれづれ Marcoのがらくた日記

小説『嵐』の背景について考える

先日アップした『嵐』の続きです。

 

『嵐』という作品を読んで、家族団らんの話のなかになんとなく《違和感》を感じた私だったが、その原因は本が書かれた時期や背景にあるような気がした。

 

私小説の多い藤村作品

島崎藤村の小説は、私小説がとても多い。

私小説というより、暴露本とか告白本と言っても良いものである。

例えば

  • 『夜明け前』は、父親を通して明治時代にどのようなことがあったかを書いたもの
  • 『嵐』『分配』は、子供たちとの暮らしを書いたもの
  • 『春』は、藤村が女学校の先生をしていた頃に、好きになった教え子の話
  • 『新生』は、実の姪とただならぬ関係になった話

特に『新生』は、当時『新生事件』と話題になったもので、

妻を亡くしたあと、実の姪に手をつけてしまった、その肉体関係の経緯を世間の公表した告白本だった。

 

藤村の壮年期は実に波乱万丈

藤村には冬子夫人との間に7人の子どもがいた。

長女・次女・三女は極貧時代に栄養失調で亡くなっている。

その後上京し、生活が安定して生まれたのが長男・次男・三男。

冬子夫人は、四女を産んだ直後に、産後の肥立ちが悪くて亡くなった。

藤村は男手ひとつで幼子4人を面倒みなければならなくなり、次兄・広助の娘 ( 長女・久子と次女・こま子 ) に子供たちの世話をしてもらうことにした。

久子はやがて結婚し家を出ていったが、残ったこま子と藤村は肉体関係を結んでしまい、こま子は妊娠。

兄には打ち明けられず、「留学」という名目でフランスに逃げる。 ( 子どもたちは方々に預ける )

フランスから兄にことの次第を手紙で伝える。

兄は娘・こま子が産んだ子を養子に出す。

3年して帰国した藤村は、再びこま子とよりを戻してしまう。

こま子との経緯を『新生』で発表することにより、こま子との関係を解消。

怒った兄は藤村と絶縁し、娘を台湾にいる長兄の元に送る。

 

以上を時系列に整理したものがコチラ⤵

※ 青字は当時の住まい、緑字は私小説に書かれた文章

1899年 ( 明治32年 ) 05月 冬子と結婚

1900年 ( 明治33年 ) 05月 長女・みどり、誕生

1902年 ( 明治35年 ) 03月 次女・孝子、誕生

1904年 ( 明治37年 ) 04月 三女・縫子、誕生

1905年 ( 明治38年 ) 04月 上京

                   05月 栄養失調により縫子、死去

                   10月 長男・楠男、誕生

1906年 ( 明治39年 ) 34歳 妻子を連れ小諸から上京

 豊多摩郡大久保村大字西大久保405番地の植木職・坂本定吉邸内の貸家に入居 

                                 04月 栄養失調により孝子が死去

                                 06月 栄養失調によりみどりが死去

1907年 ( 明治40年 ) 09月 次男・鶏二、誕生

1908年 ( 明治41年 ) 12月 三男・蓊助、誕生

1910年 ( 明治43年 ) 38歳

                 08月 妻冬子が四女・柳子を出産後32歳にて死去

1912年 ( 大正元年 ) 40歳 こま子と肉体関係

1913年 ( 大正02年 ) 41歳 フランスへ渡る

 留守宅:芝二本榎西町三番地

1916年 ( 大正05年 ) 44歳 帰国

1917年 ( 大正06年 ) 45歳 

    06月 芝区西久保桜川町二番地 風柳館に転居

私は愛宕下のある宿屋にいた。二部屋あるその宿屋の離れ座敷を借り切って、太郎と次郎の二人ふたりだけをそこから学校へ通わせた。( 『嵐』より ) 

1918年 ( 大正07年 ) 46歳

     07月 麻布飯倉片町23番地に転居

太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人ふたりを愛宕下の学校まで毎日歩いて通わせた。そのころの私は二階の部屋へやに陣取って、階下を子供らと婆やにあてがった。( 『嵐』より ) 

1919年 ( 大正08年 ) 01月 『新生』発表

1926年 ( 大正15年 ) 09月 『嵐』発表

1928年 ( 昭和03年 ) 56歳 加藤静子と結婚

1937年 ( 昭和12年 ) 65歳

 六番町13番地10に転居

 

藤村は、子供たちとの団らんをおくるその裏で、こま子と再び肉体関係を持ち、

さらにそのゴタゴタを執筆し、『新生』として発表している。

つまり『嵐』の内容は、女性問題で泥沼にある中での《子どもたちとの生活》だ。

しかも『嵐』の中には、それら大人の話とか女の影が不自然に消されている。

私はこの作品を読んで『嵐』というタイトルが、内容に不似合いな気がしていたが、

これは当時の世間の騒ぎのこともはらんでいたのかも知れない。

 

写真は『嵐』の頃に住んでいた飯倉片町の跡地のマンション

写真はいずれも2014年11月02日に麻布散歩の折のもの

 

 

 

2026年01月12日 朝ごはん

金ちゃんの鍋焼きうどん



 

2026年01月12日 夜ごはん

三品盛の右と生ハムの皿が重なっている感じがする (;^_^A

皿の生ハムは大根のスライスを挟んであって、三品盛は長芋と千切りに。

生ハムの塩気がきつかったので・・・・

 

黄色いのはエリンギの輪切りをオリーブオイルで炒めて塩コショウをしたもの。

割と美味しかった

メインは牡蠣フライでした